愛されるために親切にする。

親切と拒絶

阿吽の気づき:愛されるために他者に親切にしていたんだね。自分の意に反したことは拒絶と思っちゃたみたい。心の傷は肉体に現れて、教えてくれてた。

 

吽くん、昨日夜にギックリ腰みたいになってさ~

痛かったんだよ~

 

阿ちゃん、

「親切からの拒絶」を感じてない?

 

そう、その記憶を持っていると分かったんだよ。

腰痛ってそれが理由なの?

 

すべてがその理由じゃないけど、

「親切からの拒絶感」の記憶は、

肉体の反応として

脳や脊髄に現れることがあるってさ。

 

昨日会った人に話し過ぎちゃったと考えてたんだ。

その人に知って欲しい、

情報を提供したいと思ってた。

それが親切だって。

そして、「それをしなきゃいけない」と思ってる。

「そうしないと自分は愛されない」て。

 

外に愛を求めていたんだね。

行動は無意識で行われるから気づきにくいね。

 

あとね、相手が自分と同じ反応をする訳がないのに、

たぶん期待をしてたんだろうね。

期待と違うから拒絶されたように感じた。

 

自分の持っている記憶を呼び起こして、

再体験しているんだね。

期待するということは

「今は望んでいない状態」と思っている。

「そのままの状態を感謝し受け入れる」といいね。

 

私は何かを他者に与えないと、

愛されないと思っていたよ。

他者から愛されるために行動していた。

自分を愛していないから、

他者から愛されようとした。

 

何かをしなくても、どんな状態でも、

愛されている存在だよ。

 

吽くん、ありがとう。

記憶は昨日の夜に感謝して手放しちゃったの。

それでね、今朝起きたら腰の痛みが消えちゃった。

 

身体が教えてくれてたんだ!

「自分を愛して」て…

 

腰さんには、手を当てて、

痛くしてごめんね。ありがとう。

これからは自分を愛します。

やりたいこと何だってしていいよ。

ホントの気持ちを相手に言っていいよ。

 

どんな状況も、必要なことが起きているだけ。

出来事に意味はなにもない、

意味を作るのはその人の捉え方なんだね。

 


 
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