先生と呼ばれる
阿吽の気づき:「先生」と呼ばれる人って偉大なんだろうけど、傲慢で人を見下す人ってイメージを持っていたんだ。だから「先生」と呼ばれたくなかったんだよね。
阿ちゃん、この間仕事でね。
僕「先生」て呼ばれたんだよ。
吽くん、予備校のアルバイトの時、
散々呼ばれていたでしょ?
そういうのとは違うの。
呼ばれた時に、
なんか違和感があったんだもん。
どんな風に感じたの?
それがね、相反するようなこと。
「僕は先生と呼ばれるほど偉大じゃない。」
「先生と呼ばれる人は、傲慢で横柄。」
出来ない人を見下すような気がしたんだ。
「先生」に、偉大さと傲慢さ、
両方のイメージを持っていたのね。
僕は「先生」と呼ばれたくないと思った。
でも、ホントは…
自分のイメージの「先生」になるのが
嫌だったんだ。
知り合いのペットのネコちゃんに、
「先生」て名前がいるよ。
僕は「先生」と呼ばれる人に、
偏見を持っていたって気づいた。
「先生」に対するイメージを手放します。
イメージの風船に取り付けて…
宇宙まで、飛んでいっちゃった。
吽くん、「阿ちゃん先生」て
呼んでもいいよ。
肩書、敬称なんてどうでもいいことなんだよ。
すべての人が、生徒であって、
先生でもあるんだもん。
学びに気づくかどうかだけ。
じゃあ、みんなが私に教えてくれてるんだ。
誰かが私を見て学んでる。
みんなで遊んでるみたい。
僕は相手に敬意を払うよ。
どんな年齢でも、どんな人でも。
関連ページ
- ゴルフ
- ゴルフは感情の解放になる。思い通りに行かないことを楽しんでる。相対的でしかない考え方の感情だけど味わうことで生きる実感が湧く。日常も同じように最高に楽しんで遊べるといいね。
- 自分を見失う
- 自分の服、自分の車、自分の役職は、自分自身じゃないのに、それが自分だと、思い込んでいた。 だから、相手から、見下されている気がしたんだ。
- スポーツがストレスに
- 楽しいはずのスポーツが、勝ち負けにこだわって、いつの間にかストレスになっていた。他者から認めてもらおうとするより、自分で自分を、認めてあげよう。
- 正直者が馬鹿をみる
- 「正直者が馬鹿をみる」それが真実のように思い込んでいた。法律を巧みにかいくぐりお金儲けのために、ワイロや接待が当たり前、「皆もそうしてる」って言い訳してた。誠実が、誠の実りを生み出すってわかったよ。
- 同窓会でよく見られたい
- 同窓会で「良く見られたい」と無意識に思っていたら、逆に恥ずかしいことが起きて「良く見られたい」のにって思ってる。自分の思いが現実になっただけだった。
- 配偶者をバカにする
- 相手をバカにして侮辱してしまうのは、「バカにされたくない」を持っているから。「バカにされた」と心が捉えると、過去に自分が否定され傷ついた記憶が呼び起されて、怖れを感じている。そしてまた「バカにされたくない」から、相手をバカにしてしまう。これの繰り返しから卒業しよう。
- ひじをつくのは横柄
- お客の立場で、ひじを突くのが偉そうで横柄に見えた。過去に感じた記憶が思い起こされて、その仕草を見て嫌な気分がしたんだ。「偉そう」を手放したら、自分が「謙虚」にふるまっていたことに気づいたよ。
- 頑張っても報われない
- 「頑張れば頑張るほどに、報われる」って思っていた。だから表裏一体の「頑張っても報われない」と言う人が、目の前に鏡となってあらわれたんだ。
- 嫉妬、うらやましい
- 嫉妬は、過去の記憶が呼び起されて感じていた。嫉妬は、自分自身を傷つける。要らない考えは手放そう。もしくは、考え方を変えて前向きに捉えてみよう。
- 知ったかぶり
- 知ったかぶりして、話しを合わせてしまう時ってあるよね。相手と対等でいたいし、馬鹿にされたくないんだ。でも心はドキドキして緊張してる。そんなエネルギーの無駄遣いは、もうやめよう。
- 褒められて嬉しい
- 「褒められた」と心が捉えると、「嬉しい」感情が湧いてくる。その逆の「注意された」と心が捉えると、「苦しい」感情を経験する。対立する二極から、自分を解放しよう。
- えこひいき
- 上司の「えこひいき」を感じて、ねたむ感情があった。でも、気が合う、合わないで、無意識で態度を変えていたのは、自分だった。
- 大して変わらない
- 大して変わらないのに、注意をされてイラっとしたけど、神経質で、細かいことを言っているのは、自分でした。
- 恩着せがましい
- 「してやってる」って恩着せがましいこと言われて、イラっとした。自分の心が映し出されていたから、イラっとしたんだ。